【縁起・沿革】  
     
  專行院は、柳本町の南寄りに位置し、上街道に近く、浄土宗知恩院の末寺として、法灯を守り続けています。
 
  当院の縁起を詳しく伝える記述は残っていませんが、伝わるところによると、
  天正12年(1584年) 土地の豪族、楊本源次郎範宣の本願により、圓誉上人を住職とし、当院の開山と伝わる。
                      関ヶ原の戦い(1600年)の軍功により、織田信長の弟、長益(有楽斎)が、三萬石を知行。
                      元和元年(1615年) 五男、尚長がその内の一萬石を拝し、初代柳本藩主となり、
旧 山門
                            翌年(1616年) 現柳本小学校の位置に陣屋を構える。
                      その頃より、当院は織田家の菩提寺として、厚く遇せられた。
  元禄15年(1702年) 柳本大火災により、本堂、庫裡とも焼失する。
  宝永 3年(1706年) 第7世、行誉上人により再建された。
  維新後は、主に旧柳本藩の地域(天理市柳本町・中山町・渋谷町、櫻井市巻野内・太田・大豆越・辻)の町民を
  檀家とする檀那寺として今日へと続いています。
旧 本堂
  明治 7年(1874年) 専行院庫裡を貸し、柳本・渋谷両村連合して博文館と称し小学校を開く。
   
  10数年前、旧本堂は屋根瓦が崩れ雨漏りがひどく、庫裏も傾いていて建て直す事に成り、
  全檀家協力の下、山門、本堂、檀信徒会館、塀、庫裏が完成しました。 (位牌堂と鐘楼はそのままです。)
  平成20年(2008年)11月3日、 第23世 赫譽上人晋山式 及び 新本堂の落慶式を執り行いました。
   
旧 庫裏 (博文館)
 
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陣屋(橿原神宮に移設)
建替え直前